07 May
制作前の頭の整理
鈴木さんのコラージュ、初日です。かるく水彩の下描きをした上に切りきざんだ紙を重ねていきます。もう出来上がりの雰囲気が漂っていますよね。
それは、制作前の方針、その確認につきる。色づいた並木がトンネル状のアーチを作っている。それは、傘の下と同じで暗くなる。トンネルを抜けた先には明るい世界が見えるのである。これが、構図であり本質である。他になにがあるのだろうか?
いや、他になにかあってもいい。あるべきだろう。それは、刺し身のツマであったり、お弁当の彩り用のミニトマト。なければ、寂しいけれど、これらは本質ではない。
この鈴木さんの作品は、たぶん早めに仕上がるだろう。描くべき本質を得た時は、スムーズな工程をもって作業が終り、出来の良い作品を眺めることが出来る。
くれぐれも、表面的なつくろいを追ってはいけない。描く前のちょっとしたヘッドワークを楽しむんだよ。
17:04:20 |
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30 April
単純、偶数、こりゃ難しい
毎度おなじみの中森さん、現在制作中の絵です。□と○、基本形によるシンプルな絵、難易度は高い。四角い方を花婿、丸い方を花嫁、結婚記念の写真と思えばいいのだろうか?
まずは、再度グループ分けの話。床は□○のどちらかとグループを成しています。これを押さえておかないと、バラバラの絵になります。左の絵は□がアクセントになってるので、○の中の絵の具がじゃまになってきたようです。(要検討)
次に、絵画に数字。けっこう関りがあるのです。偶数と奇数。偶数のものを絵の中に入れるのは難しく、奇数は自然にリズム感が生まれることもあってラクである。強い意志なしに偶数のモチーフを描くとひどい目にあうのは間違いない。
最後に色。紙風船には、三原色。この三原色をそのまま再現してしまうと、これまた絵を壊してしまう。絵にあう様処理する必要がある。キレイな黄色や赤があると、他の色がすべて汚れて見えるのだ。色自体に責任がないのに、考えのない他の色で汚れ色の汚名を着せられるのである。
その汚れ色も、汚れ色だけで表現すれば、実に美しい色合いになることを付け加えておきます。明るさも鮮やかさも色の違いも、色単体ではまったく意味を持たない。比較対象があってはじめて成立する。それを決めるのは作者。
17:14:05 |
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28 April
白黒に感じる色気
墨汁だけで描いた半田さんの絵です。白黒、モノトーンって魅力的だよね。色をバカスカ使っている自分も、実は白黒大好きで、買い求める絵は白黒ばかりだ。(自分の絵が生きる)
子供の頃、家には白黒テレビがあった。そこに、「ディズニーのお城に花火」「東京銀座、三愛ビルのネオン」「おなじく、不二家のイルミネーション」等が映し出されてた。子供の記憶は、しっかりとカラーなんだな。なんて美しい!都会って色鮮やか!
ということで、白黒のトーンが合っていれば、色を感じることが出来る。力道山、大木金太郎、ジャイアント馬場が流血した時、血液は真っ黒だった。(赤は暗い色)物心ついた時からカラーテレビの世代は、色に渇望していないというか鈍感というか、ちょっとかわいそうに思ってしまう。
デッサンというと形をつかむことが主に思うかもしれないが、本当は「つながり」「関係」「調子」というものをが大半を占める。小津安二郎や黒沢明を知らない世代は、なおのこと、白黒の勉強をしたほうがいい。
18:24:48 |
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23 April
モチーフの対峙
水曜午後クラスの岩佐さん、2枚目の油絵が順調に進んでいます。青いグラス、ライムイエローの果物、ブロックと、少ない要素の構成で、清潔感あふれる絵です。
地べたを這うようにブロックと果物、それに対してそそり立つグラスが三角形をなす構図です。大げさなモチーフを対象にしなくても、構成の仕方・考え方で、絵は大きく変貌する。これが絵のおもしろいところだ。
「絵にも描けない美しさ」とはよく言ったもので、本当にそうだと思う。美しくないものを美しく絵にするほうが簡単だ。自分の解釈でいかようにも変貌させることができるのだから。「絵空事」とは、僕はいい意味で捉えている。絵の存在意義そのものだから。
もし「絵にも描けない美しさ」にであったら、できるだけ長くその場に居ることだ。そして、自問しよう。私は何に対して・どの要素に対して、こんなにも感動しているのか? これを見極めなければならない。美しさは複合的で、主観的である。観る側の鏡だ。
「キレイ!」「ステキ!」「カワイイ!」と言わないだけで、どれほど感動を維持でき、かつ持ち帰ることか。
18:35:00 |
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21 April
降りそそぐ臨場感
昨日、コスタリカから帰国しました。頭は寝ぼけていますが、体にはジャングルの熱気が充満しています。ということで、今日のブログは旅の話。
以前から、「リアリティーとは?」の件で、旅の作品を作るのなら現地でスケッチをして、資料としての写真を多数撮ることと、言ってきた。そして、その本作も帰国して熱いうちに仕上げるのがいいと。
だが、現地で限りなく仕上げるにはどうしたらいいのだろうか? ゼッタイその方が、集中力もあるし、いいにきまってる。 と、僕の画材はドンドン増えて、手荷物のほとんどを占めることになる。
でもね、仕上げるには、やはり時間が足りません。それに、描く前に外に出てインプットしなければなりません。50%のあがりで終るのが現実です。現地でワン・ツー・スリーと手を入れて、帰国してワン・ツー・スリーで仕上がればいいかと考えている・・・。
この写真は、ホテルのバルコニーで制作中のものです。まわりは、ジャングルというか森につつまれています。BGMは常時10種類ぐらいの鳥が合唱しています。湿気を含んだ熱気がまとわりつきます。「これがリアリティーだ!」 と、ウレシイ叫びが湧いてくるのです。
前日に取材した、板根・マングローブ・巨木の空間・植生の違いがよみがえります。もうほとんど同じ環境のオープンスペースでの制作ですもの。忘れないための記録、そのような汚れに近い作業が始めの一歩です。
現地で40枚、50%。来春の個展なんとかなりそうです。
18:07:55 |
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